アラサーのターニングポイントはなかなかやっかいというおはなし。
こんにちは。
実家からダンボール箱で送られてきたりんごのひとつになにげなく落書きしたら、
ほかのリンゴは食べる需要にリンゴ寿命が追いつかず2ヶ月を過ぎたら腐り始めたのに
この子だけなぜかプリプリの鮮度を保って4ヶ月経ったいまもテーブルに鎮座していて
なんだかちょっと、食べにくくなってきているみやべえです。
そんな今日、ひっさしぶりに会ったコーチング兼コンサルティングを生業とする友人と焼き鳥をつまみながら近況報告していたところ
「みやべえは、自由でいようとして反対に自分で決めたルールに縛られてるよね」
「40歳になった時はどうありたいかイメージしてみたら?」
などなどなんかふわっと向き合わないように浮かせていた風船をぐっさぐっさ剣山で挟み撃ちされるようなことを言われ、割れた風船から考えなきゃいけないことがごろごろ出てきて脳内フリーズというイベントがありました。
何をしたいかじゃなくてどうありたいかかー。
んむーむずかしい。。
今まではどちらかというと、その時々のやりたいことを軸として流れるままにふらっと勢いに乗ったり、食べてみたりしながら広く浅く色んなものに手を出して。知りたいことや興味のあることがたくさんあって、自分の中の真っ白いノートにそれを埋めていくのが楽しかった20代でした。
人生意味のない出来事はない、と言いますがほんとそうだと思います。無意味だろと思いつつやったことが全然違うものと化学反応を起こして予想しなかった出会いが生まれることもあるし、がむしゃらに進んできたことが、気づいたらちゃんと自分の武器になっていたりするのが面白くって。これからも刹那的にそうやって選んだ流れに身を任せて、どこかにたどり着くのもいいなと思っていました。
でも30代を目前にした今、これまで通り抜けて来た体験や知識が、最近やっと自分なりの教科書として出来上がり始めている感触がなんとなく重みを増してきて。結婚して今後の人生を歩むイメージも変わってきたこともあり、もう少し興味の方向や自分の幸せを丁寧に吟味しながら進んでみようかな、と仕事の考え方も少しずつ変わってきたような気がしています。
物理的な時間や仕事の内容のせいもあるけど、「仕事=生き方」になりつつある中で、ここらで一旦、今まで「こうじゃなきゃいけない」とか、「こうあるべき」と自分の中で知らず知らず縛られていたルールを一回取っ払って「何が好きなの?」「どんな状況が幸せなの?」ってゆー自分が理想とする根本をもう一度考え直すときなのかもなぁ。
オトナになるとお金かければ大抵のことは体験できるし、
興味や欲求を満たすことだって簡単にできる。
でも、欲しいものを手当たり次第手に入れていたらいつか溢れて入らなくなっちゃう。
なにを大事にしてなにを手放すのか。
ゆくゆくどういう生活を送るために、なにを積み上げてゆくのか。
その指針がないと、ふと立ち止まった時に
「あれ?自分これからどこにむかっていくんだっけ?」というパラレルワールドに頭からピットインという、社会人アルアルにハマりがちになります。
逆に、その指針さえしっかりとあれば、職業としての名前はどうだっていいのかもしれないなぁ。やりたいことに名前がなくてもいいじゃない、という余裕も意外と大事。
肩書きに囚われて不安になることもあるし、気付いているのに思いきって飛びこむ勇気がないこともいっぱいあるから偉そうなことはいえないけど、今は、社会や人としてのルールの中でどこまで自由に動けるようになれるかが、自分にとっては一つの目標です。
いろんな選択や経験を経て、子供の頃描いていたものとは違うことをしてる今、
当時は思いもよらなかった景色も見れたし、気づけば心強いパートナーも
大好きな友達も同僚もいてくれる。これはこれでいま振り返っても後悔はない。
ここからどっちの方向に進んでいこうか、素直にコンパスをぐるぐるしてみようと思います。
最終的にどんな形になるのか、どんな名前になるのかわからないけど、
できるだけ縛られず、自分はどうありたいかを模索しながら進んでみよう思います。
ではでは。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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