夏モード突入。めざせ夏服佇まい美人のおはなし。〜浴衣編
セットで迫りくる薄着モードへのダイエットなんて始めてすらない。
ぬぬぬぬぬ。まずい。
私が普段着ているテイストとは真逆の世界観ではあるんですが
色遣いや柄が豊富でみているだけでも楽しいんです。
帯もちゃんと主役でかわいかったり。
引きで見るとあっさりブルーなのに実はこんな洋風な柄だったり。
上記出典:ふりふ
イメージづくりの世界観がちょっとルミネの広告に似てる気がします。
例えば唐草模様は切れ目がないため、「つながる」という意味の縁起もの。
松竹梅なんて
「次の得意先プレゼンは松竹梅でプラン分けて、金額3段階で提案で。」
的な目の中¥マークな使い方しかしてませんでした。
ごめんなさい。
佇まいだけで個性や季節を表すことができるもの。
あつーい日差しの下で薄い色の浴衣や着物をさらっと着こなしている人って
肌も見せていないのにすごく涼しげで爽やかで、きれいだなーと思うし。
ちなみに余談ですが、
もちろん浴衣をピシッと着こなす男性も大好きです。
女性よりちょっと帯を下目で結ぶ感じとか
襟元から覗く首や足首の骨のごつごつな感じとか
それこそちょっと遠くから見た時の佇まいとか
たまらん!!!!
のだけど・・・
すごいのありました。
浴衣の宣伝スペース半分に割いてあえてのこのコピー。
ほとばしる独自のポエム世界とミサワ臭。
平安時代からって。
他の商品もそうなのかな?と思って色々見たけど他は普通のトンマナなので、
どうやら浴衣だけ並々ならぬ力をいれているようです。
詳しくはこちら
http://vicefairy.jp/yukata/vicefairy2015yukata.html
いやー。
いろんな世界があるんですね。
次回、目指せ夏服佇まい美人シリーズ第二弾。
ではでーは!
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阿佐ヶ谷のともえ庵で夏に出会ったおはなし。
こんにちは。
梅雨前のカラッとした空気と、夏ほどの痛さはない日の光が絶妙に気持ちいいこの季節。
最近は暇さえあればサンダルつっかけて
ぺったんぺったん近所の散歩をしているみやべえです。
出典:たいやき ともえ庵
〒166-0004 杉並区阿佐ヶ谷南1-35-20
電話:03-3361-6387
営業時間:11時30分〜20時
*********************
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オタク街道への憧れのおはなし。
こんにちは。
最近、夕ご飯を食べながら毎晩1本映画を見るのが日課になっています。みやべえです(だいたい夕ご飯2時間コース)。昨日の夜のおたのしみムービーは、昨年末アメリカからひょっこり一時帰国して来た友人がくれた映画の1つ。
園子温監督の地獄でなぜ悪い。
どんな話かというと(以下ざっくりネタバレですよ)
映画を撮るのがちょっとイッちゃってるくらい好きな
「平田」引きいる子供達•ファックボンバーズが
10年後もその情熱を持て余してクサクサしてたところ
ヤクザにやんごとなき事情から映画を撮ってくれと頼まれて
オールスタッフヤクザのホンモノ抗争映画を命懸けで撮る、というもの。
予想を裏切らない血みどろぶしゃぁぁぁぁーな映画で、
1人でご飯食べながら見るようなものじゃ決してなかったものの、
キャラクターや設定が気持ち良くぶっ飛んでて笑いもあって。
個人的には堤真一さんの演技が大好きでした。
ギリギリ歯ぎしりレッツ・フライ♪
終盤は人が死にすぎてこっちが貧血になりそうでしたが
ラストシーンで映画フリークの平田が
死んだ仲間の手から楽しげにフィルムをかき集めて抱え、
映画を作れた事に狂喜しながら血まみれで一人走る姿を見て、
なんだか悲しいような清々しいような変な気持ちになりました。
理性も常識もぶっとんだ
あんな血まみれ狂気に変わるほどの勢いで 情熱を注げるものがあるって
鬼気迫るのを通り越してちょっと気持ちいいなーと。(フィクション前提でね)
私はどちらかというとなにかひとつのものに集中する職人型ではなくて
軸足はおきつつ色々なものに手を出してできる限りやり尽くしたいタイプなので
無い物ねだりなのかもしれませんが、ひとつのものを極めていたり職人的な人って
すっごくきらきらして見えます。
大工さんとか染物屋さんとか腕一本で生きている人ってかっこいいし
セクシーだしじゅる魅力的。
超マニアックな研究してる人とかなにかのオタクな人もそう。
私の知り合いに、電車が好きすぎて電車の発信音の音階を聞けばそれが何型の
車両か一瞬でわかるという超電車Loverがいるのですが、なにそれ誰得?!っていう
ことごとくマニアックな情報をいっぱいもってるんですよね。
そーゆー何かに役に立つから覚えるとか打算的な知識じゃない、
もう純粋に「好き」って気持ちだけで深まる知識って体温があると思うんです。
いいんだよ好きなんだから。で、突き進む世界。
その人は自分が乗った日本中の沿線に赤い線を引いた白地図を持ち歩いているのですが
その地図が日本に張り巡らされた血管みたいになっていて、感動したのを覚えています。
胡散臭くて安っぽい宝の地図でも誰にだってそれ自体が宝物的なね。
ほおおおおグングニルだなーかっこいーなーと思いました。
今日のNHKプロフェッショナルで取り上げられていたのは
手打ちうどん職人、森田真司さん。
ひたすらうどんとそれを食べるお客さんに向き合う姿勢や弟子への厳しい愛情に
ぐさぐさと胸打たれるものがありました。
体調を崩した店長代理を厳しく叱責した夜、
おじやを作って届けた時の森田さんの「頼むぞ」という言葉。
森田さんの背中を追う店長代理への「一流の職人で終わってほしくない」という言葉。
一流の職人の技術だけでなく、心を動かす真心を持てと。
うどんオタクの熱すぎる物語でした。
いいなぁ体温のある知識。
私もオタク街道走りたいなぁ。と思った夜でした。
ニッチなオタク、募集してます。
ではでは〜。
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いちばんお金がかからないけどいちばん人の気持ちに届くもののおはなし。
こんにちは。
「もしもしみやべえ?」
と先日かかってきた1本の電話。ここ数週間電話していなかった得意先の女性。
「今ねー送別会してるのー」
「あ、そうなんですか。いいんすかそんな時に。誰のですか?」
「私の」
晴天の霹靂の異動報告。
今まで約4年間、ほぼ専属かってくらい一緒にお仕事してきた女性でした。
年は3つしか違わないのに社内外から一目置かれるほどものすごく頭がキレて
物おじせず論理的に自分の意見を伝えられて、好奇心旺盛なスーパーウーマン。
感覚的に話しがち私は論理的に話す彼女に最初「何言ってんのかわからない」と言われたりもしましたが、一緒にいろんなことを乗り越えるうちに本当に尊敬できる人になっていて
私の興味本位なサーフィンデビューに付き合って早朝の浜辺で2時間ずっと見てくれたり
地方や伝統工芸好きの趣味が一緒で旅の情報やお土産を交換しあったり
お互い将来やりたいことを話したり、これみやべえ好きそう!と情報を教えてくれたり
料理が苦手で恋愛には乙女で、恋愛相談もいっぱいした大好きな人でした。
びっくりして、イ長調にひっくり返ったホントデスカホントデスカ?を連呼していたら
「未来のことを考えると私の長年の夢が叶うところだから嬉しいんだけど、ずっとみやべえと一緒にやってきたし振り返るとやっぱ寂しくって」
と言われて会議室で電話持ったまま号泣。
久しく忘れていた好きな子が転校しちゃうようなきゅーってなるあの気持ち。青春か。
「ううう良かった、ほんと良かった。嬉しいけどでも寂しいっすうえぇぇぇ」
改めて酒でも飲みながら大泣きして発散しあおう、と言って電話を切りました。
春は出会いと別れの季節。
最近こういうことが多くて嬉しいような寂しいようなダークブルーなみやべえです。
このいっぱいのありがとうと全力で未来を願う気持ちを
何で表したら伝わるかなと考えていたある日、母から
「これをあなたに読んでほしくって」
と言われてもらったまま開かずにいた本を開いてみました。
ハルキ文庫の吉野弘詩集。
栞が挟まれたページにはこんな詩がありました。
「祝婚歌」
二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかがふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで
疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさにふと
胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい
いまちょうど感情フルになっているからなのかもしれませんが、
これをわざわざ買って持たせてくれた母に言われているようで
なにかスッコーンと心に響くものがありました。(もらったままほっぽっといてごめんよ母)
さだまさしの「関白宣言」よりも私はこっちの方が好き。
ずっこけているほうがいい、っていいなぁ。その辺は任せてほしい。
この吉野弘さんの詩集は、他にも日常や季節や命を
すごくあたたかい目線とやさしい言葉で綴っていて、
日の当たる縁側に座って世界を見ているようなじんわりする言葉が
いっぱい詰まっていました。
そういえば詩集を読むなんて子供のころ以来。
昔何度も読み返したのは金子みすゞさんの詩集でした。
理解できていたかはわからないけど、みんなちがってみんないいとかこだまでしょうかとか、小さい命や生き物に対する気持ちがやさしくていーなーと子供心に思って。
しかもこの睫毛の虹には一つずつ英訳がついていて。日本人のこういうあったかい視点が世界にも共鳴するんだ!すごい!日本語ってなんかきれい・・・!と衝撃をうけて今でも大事に持っています。
「大漁」
朝やけ小やけだ
大漁だ
大ばいわしの
大漁だ。
浜はまつりの
ようだけど
海のなかでは
何万の
いわしのとむらい
するだろう。
ブログを書き始めてから、人の話す言葉や言い回しとかに
少し敏感になりつつあるのですが、(自分の文章に反映できる文章力がないのが残念ですが)
だれかからもらう言葉って、ちょっとしたことで嬉しくなったり悲しくなったり、
どんなプレゼントよりも心に届くのかもなぁと思いまして。
子供の私にみすゞの詩集をくれた母のように。
今の私に祝婚歌を送ってくれた母のように。
詩って自分の稚拙な言葉の代わりに想いを代弁して届けてくれるツールとして
案外最適なものなのかもしれません。人に本を贈るってなかなかハードル高いのですが…。
今の私の気持ちを代弁してくれる詩がないかさがしてみようかなぁと思いました。
なにかいい詩、知ってたらおしえてくだされー。
ではでは。
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(いい本知っていたら教えて下さい。)
自分のやりたいことが職業として用意されていることはないのだというおはなし。
こんにちは。みやべえ(いつ花粉症になるか春が来るたび恐怖)です。
花粉ラッシュとともにやってきました、OB訪問ラッシュの季節。
先週から何人かのお肌ぴちぴち大学生とふれ合わせていただく機会がありました。真っ黒いスーツに身を包んで体を硬くした人、なんだかゆるっとしてるけど憎めない人、いろんな人がいました。若くて勢いがあってこちらが刺激をもらうこともある中で、何度かチクチク感じた小さな違和感。。なんだろーもーん、、ともんやり思っていたある日、しばらく前に大好きだった漫画を久しぶりに開いたらその答えらしきものをみつけたので書いてみます。
自戒の意も込めて。
おかざき真里さんの「サプリ」。
広告代理店を舞台にすっごくリアルな仕事やこんがらがった恋愛模様を描いた漫画。
ちょうど社会人2、3年目かなー?私が仕事人生で一番迷走して自信もプライドもコテンパンに打ちのめされてブラックホールのスクラップと化していた時代に、「キラキラしてないモチベーション」という新しい視点をくれた作品です。
だいたい漫画や啓発本って夢に満ち溢れていたりやたらと前向きバンザイ!なものが多いんですが、くされスクラップに夢見がちでキラキラした言葉なんて響かないんですよ。
そんな中、仕事ってなんだろうとか女性が生きづらい仕組みの中でもがく気持ちとかぜんぜんかっこよくない姿を、すごく的確にビシバシ言葉にしてくれた、当時の自分にはまさしくサプリとなった本でした。恋愛もちょうどすったもんだ大きな区切りを迎えていた時期だったので色々考えさせられたなぁ。
「仕事っていうのは好きなことばかりじゃなくてむしろ多い苦手なものに対して給料が払われていると思う」(5巻より)とか。
「ポリシーっていうのは続けていくために必要なもの。きっとそこに辿り着いた人のことを一人前っていうんだろう」(6巻より)とか。
プレゼン前に2徹して明け方帰る時の疲れてるけどちょっと爽快なあの感じをサケの産卵に例えたりとか(笑)、すごく表現が繊細で上手だなぁと今読み返しても思います。
もっとどろどろだけどね実際。
という前段はともかく、今回OB訪問をしていて感じた違和感の正体はこの言葉。
学生と話す中で、やりたいことはわからないけど「ここに来たらそれを見つけられる気がするんです!」というスピリチュアルな自信を持っていたり。逆に、「自分のやりたいことが100%仕事として活かせると思うんです!」という熱いんだけどちょっとずれたオーラを感じたり。
両極端ですが、どちらも何になったらどこに行ったら、自分のやりたいことが見つかる確率が高そうか期待と計算をしている感じがそこはかとな〜く、することが多いなーと。
仕事って課題を抱えた何かを解決することで成り立つものであって、会社である以上利益を出す必要もある。自分のやりたいことをすべて思い通りにするのは、仕事というよりアート(表現)の世界に近いんじゃないでしょうか。
学校という次のステージがちゃんと用意さている環境を出て、社会のどこかに居場所が欲しくて必死な気持ちはすっごいわかる。めっちゃわかる。でも、やりたいことや好きなものを突き詰めないまま安全パイらしき偶像への憧れを追いかけるのは、「お姫様になったら王子様に会えて幸せになれるからお姫様になりたい!」というのと同じことな気がします。お姫様になったって、王様がリストラされちゃってやっと会えた王子様が超ぶっさいくで王妃様は愛想尽かして出ていっちゃって気付いたら天涯孤独!ナニコレ!!な結末だってあるかもしれない。
会社はやりたいことが職業として用意されている場所じゃない。
ただ、やりたいことを実現できる可能性があるところではある、と思います。
やりたいことがあるなら、そのためにどんな力をつけたらいいか考えるとか。
まだみつからないんだったらなんでもいいから好きな事を洗い出してみるとか。
前出の通り、同じくターニングポイントにさしかかりつつあるアラサーとしては(アラサーのターニングポイントはなかなかやっかいというおはなし)そのほうがきっとゆくゆく楽しいんじゃないかと。
私も学生の時はこんなこと思えなかったし、
それは社会に出てやってみないとわからないことなのかもしれないけど。
旅に出たって面白いことをやりつくしたって、軸がなくては流れて行くんです。
好きなものに素直な人って魅力的だし、仕事に繋がらなくても
気付かない間にそれを少しずつ引き寄せるチカラがあると思うんですよね。
給料や将来性やいろんなカーテンに隠れてないがしろにされそうな、
自分の「これが好き」という気持ちを大事に大事にしてほしいなぁと思いました。
余談ですがサプリで一番すっきりした言葉はこちら。
責任感もやる気もないただ居るだけで仕事を丸ぶりするエライヒトに対して。
ではではー。
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アラサーのターニングポイントはなかなかやっかいというおはなし。
こんにちは。
実家からダンボール箱で送られてきたりんごのひとつになにげなく落書きしたら、
ほかのリンゴは食べる需要にリンゴ寿命が追いつかず2ヶ月を過ぎたら腐り始めたのに
この子だけなぜかプリプリの鮮度を保って4ヶ月経ったいまもテーブルに鎮座していて
なんだかちょっと、食べにくくなってきているみやべえです。
そんな今日、ひっさしぶりに会ったコーチング兼コンサルティングを生業とする友人と焼き鳥をつまみながら近況報告していたところ
「みやべえは、自由でいようとして反対に自分で決めたルールに縛られてるよね」
「40歳になった時はどうありたいかイメージしてみたら?」
などなどなんかふわっと向き合わないように浮かせていた風船をぐっさぐっさ剣山で挟み撃ちされるようなことを言われ、割れた風船から考えなきゃいけないことがごろごろ出てきて脳内フリーズというイベントがありました。
何をしたいかじゃなくてどうありたいかかー。
んむーむずかしい。。
今まではどちらかというと、その時々のやりたいことを軸として流れるままにふらっと勢いに乗ったり、食べてみたりしながら広く浅く色んなものに手を出して。知りたいことや興味のあることがたくさんあって、自分の中の真っ白いノートにそれを埋めていくのが楽しかった20代でした。
人生意味のない出来事はない、と言いますがほんとそうだと思います。無意味だろと思いつつやったことが全然違うものと化学反応を起こして予想しなかった出会いが生まれることもあるし、がむしゃらに進んできたことが、気づいたらちゃんと自分の武器になっていたりするのが面白くって。これからも刹那的にそうやって選んだ流れに身を任せて、どこかにたどり着くのもいいなと思っていました。
でも30代を目前にした今、これまで通り抜けて来た体験や知識が、最近やっと自分なりの教科書として出来上がり始めている感触がなんとなく重みを増してきて。結婚して今後の人生を歩むイメージも変わってきたこともあり、もう少し興味の方向や自分の幸せを丁寧に吟味しながら進んでみようかな、と仕事の考え方も少しずつ変わってきたような気がしています。
物理的な時間や仕事の内容のせいもあるけど、「仕事=生き方」になりつつある中で、ここらで一旦、今まで「こうじゃなきゃいけない」とか、「こうあるべき」と自分の中で知らず知らず縛られていたルールを一回取っ払って「何が好きなの?」「どんな状況が幸せなの?」ってゆー自分が理想とする根本をもう一度考え直すときなのかもなぁ。
オトナになるとお金かければ大抵のことは体験できるし、
興味や欲求を満たすことだって簡単にできる。
でも、欲しいものを手当たり次第手に入れていたらいつか溢れて入らなくなっちゃう。
なにを大事にしてなにを手放すのか。
ゆくゆくどういう生活を送るために、なにを積み上げてゆくのか。
その指針がないと、ふと立ち止まった時に
「あれ?自分これからどこにむかっていくんだっけ?」というパラレルワールドに頭からピットインという、社会人アルアルにハマりがちになります。
逆に、その指針さえしっかりとあれば、職業としての名前はどうだっていいのかもしれないなぁ。やりたいことに名前がなくてもいいじゃない、という余裕も意外と大事。
肩書きに囚われて不安になることもあるし、気付いているのに思いきって飛びこむ勇気がないこともいっぱいあるから偉そうなことはいえないけど、今は、社会や人としてのルールの中でどこまで自由に動けるようになれるかが、自分にとっては一つの目標です。
いろんな選択や経験を経て、子供の頃描いていたものとは違うことをしてる今、
当時は思いもよらなかった景色も見れたし、気づけば心強いパートナーも
大好きな友達も同僚もいてくれる。これはこれでいま振り返っても後悔はない。
ここからどっちの方向に進んでいこうか、素直にコンパスをぐるぐるしてみようと思います。
最終的にどんな形になるのか、どんな名前になるのかわからないけど、
できるだけ縛られず、自分はどうありたいかを模索しながら進んでみよう思います。
ではでは。
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きまぐれグルメなおはなし:天すけ&伏龍石沢亭@高円寺
こんにちは。
先日、巨乳な先輩に「おっぱいが欲しければきな粉を食え!」と言われたので朝と夜きな粉を食べては、「ぼふぼふっっおふっ!」と砂漠で死にかけている商人ごっこをしているみやべえ(ひとりで)です。
「水分とか0.1ミクロンもないっすー」と言わんばかりのきな粉のノド奥の絡みつき方は想像以上で、どんだけカワイくむせようとしてもけほけほっと女の子な感じにならないのが残念。
手間のかからない、きなこのおいしい食べ方ないのだろうか。。
と、真面目に考えていた先週末の昼過ぎ。
旦那さんのドナドナ出稼ぎ前日だったので、
最後に近場で美味しい和食ランチを食べようと高円寺に行ってきました。
引っ越しするまでの約2年間、いろんな意味でお世話になった高円寺。
かわいい友達も好きなお店もできた大好きな街です。陶芸もやったりしたなぁ。
おいしいお店も多いけど、入れ替わりも激しい高円寺の北口から3分ほどのところに
プラザー高円寺という洞窟のような建物があります。
なぜ「プラザ」じゃなくて「プラザー」なのかというライトに謎な建物に似つかわしくない、ディープなお店がひしめくこの一角にとってもおいしい和食屋さんが2件あるので今回はそのおはなしを。
天すけ
「え、天ぷらってこんな軽いの?」
と感動するほどサクサクの天ぷらが楽しめる天ぷら屋さん。
お店自体は高級店なわけでもないし、(どっちかってゆーと下街っぽい)
カウンターしかないお店なのですが、なにかと話しかけてくれる
大将のあったかい人柄や、1列にならんで天ぷらに集中して楽しむ雰囲気が好きで、
なにか特別嬉しいことがあった時や、こんな区切りの時には行きたくなるお店です。
ということで今回も天すけへ。
旬の食材を使った天ぷらと、生卵をポーチドエッグのように揚げた卵の天ぷらが
楽しめる「たまごランチ」(1300円)なるものがあるのですが、
このたまごランチの中にブロッコリーの天ぷらがありまして。
食感も面白いし野菜なのに甘いしなんだこれは!!と。
わかりづらいけど左上。右はエビのかき揚げですがこれもふわふわさくさくです。
目玉の生卵天ぷらよりこのブロッコリーの天ぷらにすっかり虜になりました。
名物の生卵天ぷらは、味はさることながら大将の卵の割り方がエンターテイメント。
見て見て!と卵を割るところから視聴率を集め、
割りいれたらキレッキレな感じで殻を後方にスコーン!投げる。
あれ誰が拾うんだろうな~といつも思うのですが、
なんだか楽しそうな大将にこっちまでほっこりします。
リーズナブルでボリュームも満点。
お昼時は毎度すっごく並ぶので、14時ごろの閉店ぎりぎりを狙って
滑り込みにいくのがおススメです。
*************
天すけ
住所:東京都杉並区高円寺北3−22−7プラザ高円寺1F
営業時間:12:00~14:00/18:00~22:00
ランチ時に行列していた場合、14時までに並んでいれば対応してもらえます。
ランチの予約は不可。日曜営業
定休日:毎週月曜日
*************
伏龍石沢亭
天すけの奥にある、通称石沢亭。
店のそとに大量に貼られたラベルとひしめく瓶のとおり、
日本酒にこだわりまくったお店です。
天すけよりもさらに狭い・暗い・ドアから中見えないという三重苦を背負い、唯一あるカウンターは常連さんばかり。一見さんの入りにくさにとことんこだわったの?という感じの店構えなのですが
お店の閉鎖的な感じは店主石沢さんの、
美味しいものは食を楽しむ人に食べて欲しい。日本酒を本当に好きな人に来てほしい。
というこだわりの現れ。(だと好意的に解釈してみる)
最初に訪れた時は私の人見知りもMAX遺憾無く発動されてしまい、猛烈に話しかけづらかったのですが、
料理とお酒の美味しさにつられもう一度顔を出したある日、なぜか店のテレビで、まんが日本昔ばなしの上映会をしていました。
安定の市原悦子さんのナレーションに懐かしい絵。子供の頃色々見たはずなのに意外とストーリーは忘れているもので。
たまに見るとハマりますよこれ。
みや:「お、おむすびころりんってこんな結末でしたっけ・・・!」
店主:「ハッピーエンド風だけどちゃんと復讐してるもんねー。怖い怖い」
とかいいながら、世代を超えたコミュニケーションツールという昔ばなしの存在意義を最大限に発揮させて意気投合。
次第に知り合うにつれ、超食オタクなこだわりが見えて来て、
オタク好きな私としてはとても刺激的なおいしい場所になりました。
なまこが食べられるようになったのもここのおかげです。
特に日本酒は石沢さんが自分で買い付けて杜氏の想いや酒造りの背景まで
教えてくれるので、毎回訪れるたびに違う銘柄がリーズナブルに楽しめます。
*************
伏龍石沢亭
住所:東京都杉並区高円寺北3−22−7プラザ高円寺1F
営業時間:18:30~01:00
定休日:毎週日曜日
*************
今月もどっちかいきたいなー。。
このすぐ近くの銭湯、小杉湯とセットで楽しむとほんと最高ですよ。
くわしくはこちら↓
(HOTRIP@高円寺:お肌つるつる小杉湯の巻〜後編 - welcome to HOTRIP!)
ではでは〜。
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好きな人の集中治療室に入りたかったら結婚しましょうというおはなし。
はろー。
先週末、先輩夫妻と新宿のディープな焼き鳥屋で飲み明かしていたところ、お酒のせいか話題がお互いの結婚生活やらなんやらこしょばゆい系の話の流れに。
先輩に、「みやべえはなんで結婚しようと思ったの?」と聞かれたので
「結婚てなんだろーって考えてた時に『万が一事故や急病で倒れてICUに入らなきゃいけなくなった時、家族以外は病室に入れないから、もし結婚しなかったら俺の死に目に会えないんだよ』って言われて、そりゃやべぇ!って思ったからです。」
と素直に答えたら全く共感されなかったみやべえです。
でも真面目な話、今の私には、究極そこだと思うんです。結婚する事で得られる大きな差。
一昨年の年末、当時の彼(今の夫)にプロポーズされたので即答でOKしたら、「え〜もう少し考えてYO~軽いYO〜」とまさかのOK差し戻しK.Oをくらい(ここはあまり深くふれませんが)、お正月に帰省した下諏訪の温泉につかりながら「結婚てなんだべ」と真面目に考えました。
だって大好きな人に結婚しようって言われたんですよ。嬉しいじゃないですか。ご家族もそれはもうさばさばしていい人達でむしろ申し訳ないくらいだし、働いてるし、ざわっ…ざわっ…な感じの人でもないし、そりゃもうオッケーいいよ!!って即答でなるじゃないですか。
なのに、もう一度良く考えろと。
これはあれか。
好き以外にも何か理由が必要なやつか。
結婚……結婚……けっこん……
フランスでは事実婚が多かったり、イスラム社会では一夫多妻制があったり、日本でも諸事情による内縁の妻があったり、(結婚じゃないけど)「結婚」って言ってもいろんな形がある昨今。
そりゃわざわざフランス式にしたりこれから改宗したりする必要はないとは言え、周囲に認められるからとか、堂々と一緒に住めるからとか(うちは同棲禁止だったので)、名前が変わるからとか、それ以外で結婚という形をとるもっと根本的な理由ってそういえばなんだろう…?
結婚という制度って…なに……?
と結婚の原点を考え始めたら、どんどん迷路にはまり込んでしまい、新年早々婚約もしてないのにマリッジブルー風味という意味のわからない状態に陥りました。
そんな時。
同い年の昨日まで普通に連絡を取っていた友人がいきなり急病で亡くなるという、身近な人の予想外な死が立て続けに起きました。
いやほんとに人っていつ死ぬかなんてわからんのだなと。
死んでしまったら、もうどうしようもないんだなと。
悲しいというよりも、そこに存在していたものが消えて無くなるという危うさに、目の前を歩いている人がストンと穴に落ちて消えてしまうような、あると思っていた地面がない崖っぷちに立っているような、とても心細い気持ちになりました。
今思うと、かわいそうなのは彼です。
正月が明けてプロポーズの返事を再度聞こうと緊張しつつも会ってみたら、「結婚制度の意義がわからない…」とか「人はいつ死ぬかわからないよねはぁ…」とか呟く死んだ魚の目をした彼女が来るわけです。
呆れるか怒るかしてもいい感じだったところ、一通り私の話を聞いた彼が言ったのは前出の『でもさ、万が一俺が事故や急病で倒れてICUに入らなきゃいけなくなった時、家族以外は病室に入れないから、もし結婚しなかったら俺の死に目に会えないんだよ』って言葉でした。
そっか!
そうだよね!!!
それはいやだ!!!
結婚制度と喪失感の奇跡のマリアージュ。
結果、すったもんだあった挙句差し戻しを食らう前よりもだいぶ納得して結婚させてもらうことができました。結婚て式を挙げるまではペロッと紙出すだけだからあんまり実感がないけども、勢いじゃなくてちゃんと考えられてよかったな(あたりまえだ)、と思います。
予想外のことなんて避けられないんだから、自分も含めどっかでなにか起っちゃう時は起っちゃうもんだと思いますが、特に私の旦那さんはお仕事の関係で
こんなとこや
こんなとこや
こんなとこにしょっちゅうドナドナドーナーと数か月出稼ぎに出てしまう人なので、『どっかでなにか起っちゃう』確率がちょっと高いこともあって。別に構えているわけではなく、一緒にいられる一日を本当に大切にしなくちゃなーと思ったのです。
数ヶ月おきに一緒に暮らすというちょっと変な形の新生活ではあるものの
一緒にいるときは、極力共有の時間を作れるように優先して
離れているときは、次会う時にお互い何か1つでも成長したり魅力的になれるように
それぞれ集中して自分と向き合う時間をつくる。
夫であるとともにある意味ライバルにも心強い戦友にもなれる感じになりました。
ちょっと寂しいという代償はあるけども、お互い目指したいものがある時期はずっと一緒にべったりいるよりも、くっついたり離れたりしている時間がある方が私達にはちょうどいいのかもしれないと思っています。
いろんな形があるから一概には言えないけどね。
タイミングが合わないとどうしょうもないことだってあったけどね。
もし結婚しようかな~でもこの人で決めちゃっていいのかな~と思う人がいたら、「その人が死にそうな時そばにいられないとしたらどう思う?」って自分に聞いてみたらあらぬ方向から答えが出るかもしれませんよー。
ではでは。
この絶対カメラ意識してポーズとっている面長ヅラのシカ、好き。
読んで頂きありがとうございます。
よっしゃ私も結婚しよーかな!と思ったらぽちっとお願いたします。